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「人間は不合理」と認めることで販促の可能性が広がる
マーケティング&ブランディングディレクター 橋本之克さんに聞く行動経済学~

  • 近年、耳にする機会が増えている「行動経済学」。人間が合理的に行動することを前提とする従来の経済学に対し、心理や感情などに左右され、必ずしも合理的ではない行動をとってしまう点に着目した考え方だ。2017年には行動経済学の発展への貢献が評価され、米シカゴ大学のリチャード・セイラー教授がノーベル経済学賞を授与されるなど、世界的にも注目されている分野だ。
    日常生活や購買行動、ビジネスなど、幅広い応用が可能ともいわれている。リテールの現場において、どのような活用方法や可能性があるのか。行動経済学に関するコンサルティング、執筆、講演を数多く行っているマーケティング&ブランディングディレクターの橋本之克さんに聞いた。
  • オンライン取材で行動経済学について語る橋本さん


――はじめに、「行動経済学」とは、どのような学問、考え方なのか教えてください。

行動経済学が何かというときに、経済学と心理学の2つの要素を組み合わせたものという言い方がよくされています。大事なのは、人間の判断や選択は合理的ではなく、かつ、それを本人も意識していないという点です。
企業や販売促進をやる側にとっては、人間の心理を突く、あるいは自分の売りたい・買わせたいという方向に誘導するといった場面で利用されることがあります。
他方、企業側にも不合理な行動や判断はあるので、そのことを意識して販促を有効に進めることも、行動経済学を知れば可能になります。
たとえば、何かプランニングしてもその通りにならないことがよくありますよね。「計画錯誤」(用語解説①)といって必要な時間やお金、労力、いろんなものを少なく見積もってしまうバイアスがあります。それを意識していれば予算を多めに見積もったり、業務全体を分割して進度をこまめチェックしたり、といった対策が可能になります。人間が関わる全ての活動において、行動経済学の知見は物事をうまく進めるヒントになります。
買う側だけでなく売る側も含めた両方にバイアスがかかるということは、認識として重要だと思います。

――身近な具体的な例としてはどのようなものがありますか。

  • 最近でいうと、コロナ禍で店内が密にならないように、レジの前に空間を空けるようなイラストを床に描くことも行動経済学のひとつです。銀行が密を避けるためにイスにぬいぐるみを置くといったこともありましたね。こうした危機回避での利用が目立ちますが、利益を生むという視点においては、まだ行動経済学の活用事例は少ないように思います。
    スーパーなどで見かける定価を線で消して割引価格を書く手法は、先に与えられた情報を基に意思決定する「アンカリング効果」(②)を利用しています。通販でメルマガをデフォルトで受け取らせる設定も、現状のままでいたい心理「現状維持バイアス」(③)を使ったものです。これらのように行動経済学を知らなくても、普通にやっていることも多いですよね。
    本や雑誌で紹介されているのは、こういった典型的なわかりやすい例が多いです。それを見て、「なんだ、もう行動経済学を実践しているじゃないか」と深掘りしない人も少なくないですが、実はその裏に何十、何百といういろんな法則があるんですね。現状では、そういったことまで活用できてない企業が大多数だと思います。
  • コロナ対策で行動経済学が応用されている身近な事例も


――企業が活用するのには、どのようなことが必要になるのでしょうか。

知識としてその「何百」を知っておくことはすごく有効だというのが1つ。もう1つは、人間は不合理であることを認めるということです。
たとえば、はるか昔、人の祖先が食事にありつくことすら難しかった時代の行動様式が染みついているから、空腹でなくても食べ過ぎてしまったり、ダイエットが難しかったりする。人類の歴史の中で、昔は不合理でなかったのに今は不合理になってしまっているものもあるわけです。
そういうことを認めて背景も含めて理解すると、表層的に行動経済学を活用するだけではなくて、人間の不合理さを意識して仕掛ける戦略的な施策が打てるようになるんですね。人間の不合理さは多様なので、企業と自治体、店舗とECサイト、最寄品と買回り品、それぞれ状況や関係性によって対応は全部違うんですね。
コンサルや研修を請け負った際の経験ですが、ある企画会社でワークショップを行ううちに「それって損失回避(④)だよね」「損失を避けるためにやっぱりこういうチラシのレイアウトが必要だよね」などの発言が自然に出るようになりました。少しのトレーニングでそういったことが可能になりますし、人間は不合理だということが頭に入ると、その企業に合った行動経済学の活用の仕方というのが生まれてくるんです。

――ワークショップもされているんですね。

行動経済学を理解するには、やっぱり体得していただくのが一番だと思います。流通の例だと、たとえば行動経済学の観点でチラシやパンフレットのブラッシュアップ方法を考えるというワークショップがあります。「ハロー効果」(⑤)を使ってビジュアルの印象を強めるとか、「再認ヒューリスティック」(⑥)を使うことでターゲットの記憶を利用するということが、わりと普通に思いつくようになります。行動経済学は単なる学問でなく、いろいろと活用できるんです。
特に流通って折込チラシが多いですけれども、商品がどんどん変わるんで頻繁に内容を変えざるを得ない。それを作ることに追われてPDCAが回せないっていうのがありがちだと思います。別に全面的に一新するということでなくても、行動経済学という根拠をもとにしたトライアルで、いろんなパターンを試してみる。内容やタイミングを変えながら、こういった場合にこういう効果が生まれたという経験値を知見として貯めていくことって重要だと思います。なぜなら、根拠をもってPLANすることで、初めてCHECKが可能になるからです。
たとえば元の売価を線で消してセール価格を書くことで割安に感じさせる行動は、売り手が漠然と行っている知恵というか習慣みたいなものです。これは先ほど説明したアンカリング効果を活用したものですが、考え方は比較対象を意識させることで、現在の商品の魅力を高めるというものです。比較対象を作るという発想で取り組めば、その作り方は多様なはずです。習慣で広告を作り続けるのでなく、根拠を持って発想することで、改善できる余地は大きいんだろうなと思いますね。

――折込チラシの「改善」に向けて、どのようなことが必要でしょうか。

折込チラシは単にお客様の購買意欲を沸かすためのツールっていう側面だけではありません。現場の売り場の人隅々まで、お店に関わる人全てが、そのチラシを見るわけですね。そこには、「今週はこれを売ろうとしているんだな」とか、「こういう催事を前面に出そうとしているのかな」っていう、その時点での店舗戦略が反映されているんですよ。
従ってチラシをうまく使えば、インナーのモチベーションアップであるとか、企業の戦略や方向性の理解につながるはずなんですよね。その意味で、チラシっていうのはすごく重要なものだと思うんですよね。だからこそ習慣的に行うのではなくロジカル、ストラテジックに考えることによって得られるものが大きくなるはずなんです。
プロモーションのアイデアも大事ですし、チラシのレイアウトも大事なんですけれども、まずはそういうチラシ含めた広告に対する認識を新たにして、それを関係者で共有して制作をしていくっていうことが大事なんだなと、最近特に思います。
今後、コロナ禍が収束に向かっていくと、リベンジ消費も起きるでしょう。海外に行く人もいるでしょうが皆がそうするわけでもなく、身近なスーパーやショッピングセンターで密を気にせず心置きなく買い物できるということもあり得るわけです。そこでワンランク高いものを買ってもらうような施策も重要になるはずです。
とはいえ、そこで新たに何か新しい手法を使うのかっていうと、必ずしもその必要性はなく、そこでチラシを行う狙いや、チラシが果たせる役割について、根拠をもって考えることで、確実にその効果や収益を高めることができると思います。
一方、チラシで知って商品を買うことで顧客の暮らしは成り立っています。チラシは人々の生活の質を左右する貴重な情報源です。最近刊行の書籍『9割の買い物は不要である 行動経済学でわかる「得する人・損する人」』(秀和システム)にも書きましたが、売り手と買い手の良い関係は経済活性化にもつながります。双方を結びつけるチラシの役割は非常に大きいのです。

📎行動経済学用語解説

  • ①【計画錯誤】 計画を立てる際に、費用やスケジュールを小さく見積もってしまう心理的傾向。費用が予算を上回ってしまったり、納期に間に合わなかったりといった事態を引き起こすことがある。
  • 値引きシールは、身近にあるアンカリング効果の一例
  • ②【アンカリング効果】 先に与えられていた情報に影響され、意思決定が変わること。スーパーの値引きシールは、元の値段(先に与えられた情報)によって、「お得感」を感じやすくなっている。
  • ③【現状維持バイアス】 変化を避けて現状維持を望む心理的傾向。ECサイトのメルマガも、初回購入時などに一度登録されると、現状維持バイアスにより継続して受信され続けやすい。
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  • ④【損失回避】 損失を避けようとする心理的傾向。同じ金額の損と得を比較した場合に、損の方を重大に感じやすい(プロスペクト効果)。期限切れを迎えるクーポン券や失効前のポイントを使わないと損な気がしてしまうのも、損失回避によるもの。
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  • ⑤【ハロー効果】 表面的な特徴に引きずられ、全体の評価をしてしまうこと。ハローとは、後光(halo)のこと。広告に起用しているタレントのイメージで商品の印象が変わったり、身だしなみが整っているスタッフが能力に関係なく優秀に見えたりすることがある。
  • ⑥【再認ヒューリスティック】 既に知っているものを、初めて見聞きするものよりも高く評価する傾向。ヒューリスティックとは、直感的判断のこと。同じような商品であれば、知らない商品よりも知っている商品を選択する可能性が高い。

橋本 之克(はしもと・ゆきかつ)
マーケティング&ブランディングディレクター。東京工業大学社会工学科卒業後、日本総合研究所、アサツーディ・ケイなどを経て、2019年に独立。現在はマーケティングやブランディング戦略のコンサルタント、行動経済学に関する講師、著述家として活躍中。著書に、『9割の買い物は不要である 行動経済学でわかる「得する人・損する人」』(秀和システム)、『世界最前線の研究でわかる! スゴい! 行動経済学』(総合法令出版)など。